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ユースホステルの歴史&資料館

切手 YHのはじまり ・ 世界最初のYH

ユースホステル(以下 YHと略)運動は 今から90年程前 ドイツの小学校教師 リヒアルト・シルマン氏によって始められました。

「教室の中での授業だけでは本当の教育はできない。」と 子供たちを連れて ライン川沿岸を 7泊8日の 徒歩旅行に出たのですが いつも苦労するのは その日の宿泊場所でした。YHを思いついたのは そんなときでした。 その時のことをシルマンは、彼の著書「若人の旅行−小学校ホステル」に、次のように書いています。

「それはちょうどブレール渓谷でだれもいない小学校の前を通り過ぎた時のことでした。わたしの胸に新しい考えがひらめいたのです。町にも、ほとんどどの村にも小学校があります。その休暇中のあいた教室は、学生旅行団のための、寝室や食堂に変えられるのを、待っているようなものだということです。2教室あれば1室は男子用、1室は女子用にしてじゅうぶんまにあいます。教室のいすを一部積み重ねれば、15個の寝台を置けるほどのあいた場所ができるでしょう。寝台はみな、わらを堅く詰めた寝具とまくら、それに2枚の敷布と1枚の毛布でこしらえます。生徒には出発前によく注意して、整頓するように教え、一方、学校の世話係は敷布をよく洗っておくようにします。どの地域でも先生がひとり無給でホステルの管理に当たります。先生は学校の団体の予約をなし、ホステルとその寝台が清潔かどうかを注意し、ホステルの帳簿をつけ、代金を受け取り、夏季休暇の終わりには、器具をほこりやかびにあわぬようにしまうのを監督します。このわたしの提案はあまりにも乱暴でしょうか。

現代の学校では、美術教室や体育場は、欠く事のできないものと考えています。同じように、将来はすべての学校が、学校の旅行団にホステルとしての場所を提供すべきです。そして特に強調しておかなければならないのは、ぜいたくに設備しなくてもいい、わら布団でもじゅうぶんだが、ホステルの数は多ければ多いほど良い。」

1909年8月26日。シルマン35歳のときでした。この日が、YH運動の始まりの日とされています。

シルマンがYHを思いついた翌年 1910年(明治43年)、青年実業家ウィルヘルム・ミュンカー氏と協力し合いシルマンが勤めていた アルテナの「インデアネッテ小学校」の一部をYHとして開放してもらえることになり、さらに 1912年には、やはりアルテナのレーネ河畔の丘の上に建つ古城を、YHにすることができました。これが、
YH第1号 アルテナYHです。

その後YH運動は、当時流行していた 渡り鳥運動と呼ばれる ワンダーフォーゲルとも結びついて、ドイツからヨーロッパを中心に広がり、今では世界75カ国に5500ものYHがあります。

切手 日本におけるYH運動

日本でのYH運動は、1951年(昭和26年)2月。当時青年運動の指導者だった横山祐吉氏が、教育視察団の団長としてアメリカへ行った時に、YH運動がヨーロッパを中心に盛んに行われていることを知りました。

帰国後友人の中山正男氏に話し賛同を得て、仲間達と運動発足の為の準備が始められました。こうして、この年の10月16日、日本YH協会が誕生しました。第1回ホステリングが11月17,18日に山梨県山中湖畔の清渓寮YHを中心に行われ、約100人もの参加者がありました。

初年度のYH数は13. 湯元山の家(栃木)、日本青年館(東京)、浴恩館(東京)、三原小屋(東京)、東山荘(静岡)など 山小屋、寮、青年館などの一部を契約したものでした。

本格的な専用YHの誕生は、1955年(昭和30年)7月に開所した、北海道の支笏湖YHが第1号となりました。この時の建物は、今も新しい支笏湖YHの隣に、記念館として残っています。

日本YH協会が、国際YH連盟に正式加盟が承認されたのは、1954年(昭和29年)8月16日ドイツ・ザールランドで行なわれた、第15回IYHF総会においてでした。これにより、世界共通の会員証が発行できるようになりました。

しかし、諸外国では主に、YHの為の専用施設が利用されていましたが、日本には専用施設がほとんど無く、YH協会が旅館、山小屋等と、契約を結んだものが中心でした。そこで、国際国内観光事業の振興の為のYHの必要性から、どうしても専用の施設が欲しいと言う願いを込めて、1957年(昭和32年)YH協会と運輸省で大蔵省に翌年の国家予算にホステル建設費の計上を要求、岸総理の裁定により予算がつけられ1959年(昭和34年)6月5日、愛知県犬山市に、鉄筋2階建定員98名のYHが誕生しました。これが、公営YHの第1号でした。

その後、契約YHの中にもYHの為に設計・建設された施設も出来て、現在は北海道礼文島から、沖縄県西表島まで約350のYHがこの運動を支えています。

切手 誓いの言葉

− 昭和29年10月30日制定 −
  • 私達は、簡素な旅行により、未知の世界をたずね、見聞をひろめよう。
  • 私達は、規律を守り、良い習慣を身につけよう。
  • 私達は、共に助けあい、祖国の繁栄に、努めよう。
  • 私達は、国際人としての教養を高め、明るい世界を、建設しよう。
この誓いの言葉は、YH会員なら度々目にするものですが、ちゃんと読んだことは無いかも知れません。
入会や更新の時に手にする ハンドブック、郵送される「ユースホステルしんぶん」の第1面左上に書かれています。内容やことば使いが少し堅く、時代を感じさせるかもしれませんが、YH運動の主旨を要約したもので、心のすみに、いつも置いておきたい言葉です。
時代は流れても根底にあるものは、シルマン氏の想いと、誓いの言葉なのです。

切手 テレビドラマにもなりました

1966年(昭和41年)森繁久弥主演のNHK・TVドラマ 「太陽の丘」が放送されました。
(4月5日から1年間。毎週火曜日夜8時から1時間)
ドラマは、伊豆にある八代ユースホステル(実際にはない)を舞台に、ペアレント一家と、そこを訪れるホステラーとの交流が描かれ、YH運動が、全国のお茶の間に紹介されました。
*NHKには「太陽の丘」のビデオは、残っていないようです。

切手 切手にもYHが登場

国際YH連盟( IYHF )の総会が、日本で2度開催されていますが、その記念の郵便切手が発行されています。1968年(昭和43年)ヨーロッパ以外では開催されたことの無かった、国際ユース・ラリー・ IYHF会議が、東京で8月6日から19日にかけて開催され、これを記念して、15円切手が1800万枚発行されました。2回目は1990年(平成2年)6月25日から7月2日にかけて、新潟県 六日町、柏崎市で開催され、これを記念して62円切手が2100万枚発行されました。


参考資料

  • 日本ユース・ホステル20年史 (財団法人日本ユースホステル協会)
  • 日本ユースホステル運動30年史(同上)
  • 日本ユースホステル運動40年史(同上)
  • 広辞苑 (新村 出 編・岩波書店)
  • 指導者のためのユースホステル活動の手びき (文部省体育局スポーツ課内 社会体育研究会)
  • 野外活動 −キャンプとユースホステル − (兼松 保一 著 ベースボール・マガジン社)
  • 諸国遍歴武者修業のすすめ (日本ユースホステル協会)
  • 野外旅行大学のすすめ (同上)
  • 三丁目の夕日 − ユースホステル − (西岸 良平 ・ 小学館)
  • 公営ユース・ホステル30年の歩み (中村 忠生 カルド出版企画 )

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